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2011年05月03日(火)更新

face book で、ヴァーチャル同友会??・・・悪戦苦闘!!

 こんにちは。
 社労士の 西村介延 です。

 みなさん、GWはいかがおすごしでしょうか??
 ぼくはこのあいだから、facebookと格闘中です。

 2月ごろだったかな、みんな周囲がうるさいので、ぼくも仲間入りだけしときました。
 ところが、パスワードがどうとか、エクスプローラがどうとかいって、いうことをきいてくれないので、カンペキに放置しておりました。
 facebookって何ができるのかもよう分らんし・・・??

 ところが、GWにはいって、facebookさんから、「ずいぶんとご無沙汰ね。お友達がまってるよ~~ん。」と、メールが入りました。
それで見てみますと、「お友達」は大阪同友会の支部役員さんばっか!!
 さっそくみなさんに返信しましたら、こんどは「写真を入れないと、アヤシイ人だと思われるよ~~」というアドバイスも頂きましたので、パソコン内の写真を投稿しました。
 すると、同じ時期に奈良同友会に入会した「なにわプロゼミ」同期生から、「写真、いい男です」と、返信いただきました。(もう、本当のこと言うて!!)

 でもこれって、携帯とパソコンではメールアドレスも違うんで、携帯のほうにも反映してるのだろうか??
 そもそも、公私とも、連絡したいことなんかは、みんなアドレス知ってんだから、メールすればいいじゃん??
 そもそもfacebookって、なに??

 ぜんぜんなにもかもが分らないなかで、GW中、ぼくのfacebookとの悪戦苦闘のおつきあいが始まりました。

 でも、わかったことがひとつ、あるっちゃあります。
 メールは一対一だけど、facebookだと、一人の友達からまたつぎ、つぎと友達の輪が拡がることことかな??
 それに、同友会だって、会員の人や役員さんといると楽しいし、仲間の輪ができるから楽しいのであって、facebookだって同じで、友だちできて楽しいんだからいいのかも??

 そうだとすると、facebookでヴァーチャル同友会をやると、リアルとヴァーチャルで2度おいしい!!ってこと??
 

2011年05月01日(日)更新

大阪同友会、今月の支部例会に「前座」で出演しま~~す。2回も!

 こんにちは。 
 社労士の 西村介延 です。

 もう5月ですね。
 早いもので、ことしもあますところ??8か月となりました。
 みなさんにとって、今年はどんな年ですか??

 さて、今月は、ぼくも大阪同友会の中央北支部例会で、おはなしをさせていただくことになりました。

 メインキャスト(真打ち)はおなじ社労士の、上村美佐子さんです。天満橋で開業されています。
 ぼくはその「前座」で登場させていただきます。

 自社(事務所)PR と 経営指針確立成文化セミナーのおさそい の 2回です。

 自社(事務所)PR は自分のことですので、言いたいことをいえばいいのですが、問題は指針セミナーのおさそいです。
参加者のみなさんが、「自分も行ってみたい!!」と思えるおさそいができるか、とても不安ではあります。
 3月末に同友会に入会して4月初めに指針セミナーに参加するというあわただしさ。
しかも、リーダーやサブリーダーの方を散々てこずらせて落ちこぼれておりまして、7月に再履修!!と思っていたくらいなので。

 しかしよく考えると、このセミナーに「優等生」などいらないのでしょう。
 かつてのウイスキーのCMであったように、「みんな悩んで大きくなった~~!!」というのが、このセミナーの狙いかも??

 そう考えれば、自分の事業はなにか、なんであるべきか、なぜ他ではないこの事業をはじめたか、を突き詰めて考える機会でさえあればいいのかもしれないですね。
 再履修が必要だと思えるようなひとこそ、このセミナーを受けるべきなのだろうと思いました。ちょっと逆説的だけど。
 それから、アフターフォローもいいですよ。
 再履修!再履修!と役員さんにメールで泣き言を言ったら、自分もいまだに悩んでるとか、一年かかったとか、徹夜だったとか、自分の苦労を返信してくれました。
 ぼくたち個人事業主は孤独なので、こういうアフターフォローはとってもありがたいです。

 そういうおはなしをして、ぼくのような落ちこぼれでも「悩んで大きくなった~~!!」のなら、自分もこのセミナーで「悩んで大きくな」れると参加者のみなさんに思ってもらいたいです。
 (もっとも、とってもしんどいから、「悪いことはいいまへん、やめときなはれ」といって、笑いを取る? すべる? のもありかな??)
 もっといえば、「こんなおもろいセミナーがあるんやったら、わしもいっぺん同友会入ったれ!!」とゲストの方が思ってくだされば、いいなと思います、増強委員として・・・(笑)

 こんな思いをもって5月に突入です。

 そうそう、と思い出したようにいうのも、とっても失礼なんですけど。
 その支部例会のある週の月曜日、大阪同友会の「オンリーワン研究会」があります。
その研究会では、この 「経営者会報ブログ」 でおなじみの原守男さんが報告されるそうです。
 実はぼくの嫁が原守男さんのファンでして、毎日高知の「竹虎」さんと原守男さんのブログだけは必ず見るというご執心ぶり。
で、ぼくも嫁と一緒に研究会に参加します。

 そんなこんなの5月ですが、そんな5月にふさわしいおことばを、ご紹介しましょう。
 ドラッカーさんの「企業とは何か」の訳者あとがきのことばです。

     「本来経営とは、平常心をもって、しかも胸を張って堂々と行うものである。
     大義を探す必要もなければ、不祥事も起こりえようのないものである。
     なぜならそれは、「世のため人のため」のものだからである。」

 「平常心」!! いいことばです。
 ぼくもこのブログで、「平常心是道」というタイトルをつけたことがあります。地震の直後ですけど。

2011年04月29日(金)更新

ドラッカーさんがおもしろいのは??

 こんにちは。
 社労士の 西村介延 です。

 きょうから世間は GW でお休みのところが多いですね。
 東北地方へボランティアに行く方も多いと、新聞にも書いてありました。
 立派だと思います。でも無理しないでね・・・。
 ドラッカーさんも言ってます。本業で成果を上げられなければ、ほかの社会的責任も果たせない、ってね。

 ところで、ドラッカーさんの本を読まれてますか~~??
 「もしドラ」アニメでは、筋書きと関係のあるところだけ抜いて紹介しているので、そのおもしろさはあまり伝わらないのが、ちょっと残念ですね。
 そのおもしろさの秘密も人によって違うでしょうが、ぼくが思うにはこんなところかな、というところを書いてみますね。

 体系的でわかりやすいこと、個々のことばの定義をきっちりしていること、新しいテーマが出てくるごとに、くどいくらいにその説明をして、いっぱい具体的な事例を引いていることが大きいかなと思います。
 こうしたことはいろんな箇所でドラッカーさん自身が書いておられます。

 でも、ぼくが一番の魅力だと思うことは、ものごとを固定したもの・変化しないものとしてとらえるのではなく、常に変化するもの・陳腐化するものとして、ものごとを見ている柔軟さです。
 すでにイノベーションを、「あらゆる事業の活動の一側面」(上巻p82)と見るところからして、変化への柔軟な対応がみてとれます。

 昨日は、「体系的廃棄」というちょっときつめのことばに、ぼくは魅かれているというようなことを書きました。
 このことばにしても、「あすを実現するための第一歩が、昨日をを廃棄することである」というように、あすが昨日と異なり、当然今日ともちがうことが前提になっています。
 そこにあるものは、つねに変化していくものとしてものごとを見ようとする姿勢です。
 また「マネジメント」下巻では、組織体の規模の変化として、量の変化が質の変化に転化し、質の変化が量の変化に転化するということを指摘しています(pp52~53)。
 これは物質の3態とかいって、氷が水になり、水が空気になる(またはその逆)ような、ものの量的性質と質的性質の関係を言い表すものです。

 たしかに、今日も昨日とおなじ、明日も今日と同じにできれば、こんなに楽なことはないのでしょうね。
 でも、社会も時代も、個人の意思とは関係なく、どんどん変わっていきます。
 その変化に対応しようとすれば、変化を当然のこととしないわけにはいかないのでしょうね。

 このブログでも、4月に入ってから、ヘーゲルさんや孫子さん、老子様などのありがたいおことばを、ずっと紹介しては、コリクツを並べ立ててきました。
 これも脈絡なしに勝手に書いていたというのではなく、ドラッカーさんの本を読みつつ、ぼくがこれまで読んできたこれらの「古典」に戻る必要を痛感したからです。
 というのも、この人たちに共通している思考もまた、時代と社会・戦争・戦局というものがたえず変化することを、体系的・普遍的にとらえようとしたものだということです。
そして、その変化する現実を、自分の都合のいいように解釈するのではなく、ありのままに見て、そのありのままの現実に柔軟に対応しようとしたということです。
 ヘーゲルさんは近隣諸国が近代的なブルジョア国家に変わっていくのを見ながら、近代化の遅れている自国の未来を真剣に考えていました。
 孫子も老子様も、戦乱の続く古代中国で、小国が生き延びるための術を懸命に模索していました。
 そしてその模索をつうじて、いまに残る「古典」を作り上げたのだと思います。
 因みに、「老子」は個人の生き方ではなく、ややこしい時代に小国が生きるすべを君主に伝える書です。
 近代のマキアベリ「君主論」にあたるもので、老子様も君主に近い官僚だったといわれています。
このあたりが「老子」を難しくしているのかもしれないです。

 そしてドラッカーさんもまた、第2次大戦後のアメリカ・ヨーロッパ・日本を見ながら、国も企業も、生き延びていくためには変化しなければ、時代と社会の変化に対応できないことを、実感されたのだと思います。

 結局、昨日のことが今日は通用しなくなり、明日は今日のことがまったくのうそになるややこしい時代に、ぼくたちは生きています。
 そのときに必要なことは、変化を当然として、その変化の先を見ようとする目を養うことだと思います。
しかし、それは未来を予測することではないし、そんなことができるはずもないと、ドラッカーさん自身が言っています。

 この連休に、「もしドラ」をきっかけとして、ちょっとそういうことを考えてみませんか?? 

2011年04月28日(木)更新

「もしドラ」見てはりますか?? ちょっと眠いですよね。

 こんにちは。
 社労士の 西村介延 です。

 「もしドラ」みてはりますか~~??
 眠たいですね。ぼくはいったん10時に寝て、始まる時刻に起きる生活です(笑)。
 隣のビルの兄貴分の労務士さんも、「寝てる」とだけメールをくれました。

 さて、きょうは「もしドラ」では正面からとりあげていないけれど、ドラッカーさんがけっこう重視していることを書きたいと思います。
当然ですが、ぼくが大事に思っているからですが・・・。

 それは、「体系的廃棄」ということについてです。
 なんかきつい表現ですよね。
 コンビニ業界なんかでは、売れ残ったっ商品の処理といういみで「廃棄」といったりするようなので、ドキッとします。
 しかしドラッカーさんがいっているのは、もっと積極的な意味だと思いますよ。
 要は、自分の使命とするべき事業に集中したいがために、集中の妨げになるものをメインからはずすということでしょうか?
 
 「マネジメント」上巻では、「体系的廃棄」の表題のもとで、」「われわれの事業は何か。何になるか。何であるべきか。」を決定する上で、 既存の商品やサービス・チャネルが昨日同様、いまもまだ有効か? 有効でないならばいかにして廃棄するか?の問題は避けられないといっています(120ページ以下)。
 そのうえで、この「体系的廃棄」をはじめて論じたのが、「創造する経営者」だった、といって、そっちを読んでね!といいいます。
で、そっちをよむと、たしかに187ページ以下に「機会の最大化」という表題で、「廃棄することに機会を見出す」と書いてあります。

 「廃棄することに機会を見出す」ということ、すなわち、自分の持っている資源(限りなくあるわけではありません)をより自分の事業に有効に使う、資源を集中するということなのでしょう。この本のはじめのほうでは、集中こそが必要だと強く書かれています。

 この「体系的廃棄」を読んで思い出したのが、ゲーテの図書館をつくった粉河忠さんのお話です。
 作家の阿刀田高さんはこの人をモデルにして、「ナポレオン狂」や「夜の旅人」を書かれました。
 ぼくが思い出したというのは、「夜の旅人」のほうです。

 粉川さんは戦前戦後を通して、当時の東京帝国大学教授から個人レッスンを受けておられました。
 そのレッスンのある日、レポートを書けといわれます。テーマは「諦念」について。
 粉川さんはそんなことは考えたこともないわ・・・と思いつつ、レポートを出したところ、こんなものではレポートになっていないと突っ返されます。
 粉川さんが「諦念」なんて考えたこともないので、わかりませんというと、その教授いわく。

   諦念というのは何もかもをあきらめてしまうということではない。もっと積極的なものだ。
   自分のしたいこと・やりたいことのために、自分のエネルギーをに集中することを ゲーテさんは「諦念」という言葉で言い表しているのだ。
   
 おなじことを、兵役に行った先の上官(この上官は粉川さんのドイツ語の先生でした)からもいわれます。

  ドイツ語は魔物だ。突っ込んでいけばいくらでも突っ込める。
  しかしドイツ語を勉強すると言っても、図書館をつくるために勉強するのだから、細かいことにこだわるな。
  その目的に必要な文献が最低限読めればいい・その範囲で勉強しろ。

 ぼくはこの2つのお話が好きで、なんちゃいうてはこのお話をして、マニアになってはいかん、目的に必要な範囲にしろ、というお話をしました。このお話は勉強だけに限ったことではないと、ずっと思ってましたし、仕事の中でも心がけてきたことです。
 ドラッカーさんの本を読んで、自分の発想が間違っていなかったのだと思ったのでした。
 そんなわけで、「もしドラ」ではでて来ない話ではありますが、書きました。

 抽象的に学問的に読んでも、ドラッカーさんの本は眠たいだけだとおもうけれど、自分の体験や思い続けてきたことと関わらせて読むと、おもしろいかもね。

 

2011年04月25日(月)更新

きょうから始まる「もしドラ」アニメ! 野球部だけにスケジュールも過酷!!

 こんにちは。
 社労士の 西村介延 です。

 いよいよ始まる「もしドラ」アニメ。
 きょうの夜、10時55分からNHK総合テレビで始まります。
 3月に、やるやる!!!と特別番組まで組んでいたのに、地震の影響で1月延びてしまいました。
 
 しかし野球部が舞台だけに、見る人にも過酷なスケジュールを求めています。
 毎日、夜の10時55分からだって!! 
 しかも10夜連続! 2週間ってことじゃない!!
 早寝のぼくや、自称「お子ちゃま」の師匠などには、超過酷です(スポ根アニメか!!)。

 
 さて、ぼく的には、第一にやはり「マネジメント」のお話だと、「自分の事業はなにか」「事業の使命がなにか」・・・をお客目線でみることを学んでみたいです。
 
       おれはこれがやりたい!わたしはあれをやりたい!!

というつよい思いで事業をはじめたので、その思いを熱く語ることが必要ではあります。
「ミッション」 という言葉は、流行語にもなっていて、「しんちゃん」の映画版の宣伝文句にも使われてますね。

 といっても、お金を払ってくれるのはお客さんなので、共感をえること、信頼されることが大切ではあります。
 詳細は省略しますが、この週末、ささいな(あれって、クレームなんですか??師匠?)ことで師匠とともにそのことを実感しました。
 きっちり迅速に対応したといって、あとで感謝のメールを頂きました。
 ささいなことではあるけれど、こういうことの積み重ねで、信頼関係はこわれたり積み重なったりするのだと実感した週末でした。

 で・・・、そんなことで、事業と使命をお客目線で・・・ということを、考えるうえで、いい材料を提供してくれると思います。


 第2には、この「もしドラ」の著者も、主人公も感激したという「真摯さ」について、改めて考える材料になると思っています。
 「真摯さ」はあとから付け焼刃ではえられない資質であって、しかも一緒にはたらくひとたちも、ほかのことは許しても、「真摯さ」に欠けることだけは、絶対に許さないと、ドラッカーさんは強い口調で述べています(「現代の経営」上・「マネジメント」中)。

 こんなに重要な資質である「真摯さ」ではありますが、「もしドラ」のなかでは具体的にどういうことなのか、あまり語らていません。
 上にあげた2つの著作では、
       
     人の弱みに目がいくもの   反対に強みに目がいかないもの
     何が正しいかよりもだれが正しいかに関心を持つもの
     みずからの仕事に高い基準を設定しないもの (「マネジメント」中卷pp109~110)

 が、真摯さを欠くものの例としてあがっています。

 こうしたことが、わかりやすく語られるか、見てみたいとは思っています。


 いずれにしても、去年いちばん売れたビジネス書です。
 みなさん、ややこしい時代なので、流されそうになりつつも、流されないで主体的に生きる糧をもとめていると思います。
 「マネジメント」もむつかしい・・といわれますが、じっさい読めば、ちょっとでも仕事やクラブ活動で苦労したひとなら、ぴんぴんくるものがあるはずです。
 ぼくなどは、カンペキに中毒です!!
     

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