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2011年04月03日(日)更新
ドラッカーさんのおことばでは・・・
こんにちは。
社労士の 西村介延 です。
4月早々、魯迅さんのことばで始まりましたこのブログですが、ドラッカーさんもよく似たことばを残されています。
先日紹介した魯迅さんのことばは、「もともとそこには道はない。歩く人が多ければそこが道になるのだ。」というものでした。
「故郷」では、「希望」というものがあるとも言えないしし、ないとも言えない、それは道のようなものだ、といって、このことばが続きます。
これとよく似たことばを、ドラッカーさんも残されています。とてもいいことばだと思うので、補足として書いておきます。
未来を予見することはできないが、未来を切り開くことはできる。
未来を予見する最も適切な方法は、自分で未来を切り開くことだ。
そうですね。
ぼくたち「士業」を含め、自営業・会社経営者の方は、ほかと違うなにかをつくり、お客さんに受け入れてもらう、
またはお客さんがなくて困っているがこれまでにない商品やサービスを提供して、お客さんに満足してもらう、
そうしたことができて、なんぼの世界です。
当然、既にあることを受け入れるのではなく、自分で未来を切り開くために、独立して自分でやってなんぼです。
また、ドラッカーさんは、会社・組織にとっての利益とは、こうしたほかとの「差別化」・お客さんが望みながらまだこの世になかった
商品やサービスを提供したことの見返りだとも、言っています。
だって、なにもないところから、自分で決めて、自分が損をするかもしれないのに、新しいことを始めるんですから、いっぱいリスクがあります。
それを乗り越えて、これまでになかった商品やサービスを提供するには、それなりの見返りもいりますよね。
そんなことを4月の初めに考えていたのですが、4月1日ということで、でたらめと思われてもなんなので(april foolでしたから)、日を変えてまた書きました。
社労士の 西村介延 です。
4月早々、魯迅さんのことばで始まりましたこのブログですが、ドラッカーさんもよく似たことばを残されています。
先日紹介した魯迅さんのことばは、「もともとそこには道はない。歩く人が多ければそこが道になるのだ。」というものでした。
「故郷」では、「希望」というものがあるとも言えないしし、ないとも言えない、それは道のようなものだ、といって、このことばが続きます。
これとよく似たことばを、ドラッカーさんも残されています。とてもいいことばだと思うので、補足として書いておきます。
未来を予見することはできないが、未来を切り開くことはできる。
未来を予見する最も適切な方法は、自分で未来を切り開くことだ。
そうですね。
ぼくたち「士業」を含め、自営業・会社経営者の方は、ほかと違うなにかをつくり、お客さんに受け入れてもらう、
またはお客さんがなくて困っているがこれまでにない商品やサービスを提供して、お客さんに満足してもらう、
そうしたことができて、なんぼの世界です。
当然、既にあることを受け入れるのではなく、自分で未来を切り開くために、独立して自分でやってなんぼです。
また、ドラッカーさんは、会社・組織にとっての利益とは、こうしたほかとの「差別化」・お客さんが望みながらまだこの世になかった
商品やサービスを提供したことの見返りだとも、言っています。
だって、なにもないところから、自分で決めて、自分が損をするかもしれないのに、新しいことを始めるんですから、いっぱいリスクがあります。
それを乗り越えて、これまでになかった商品やサービスを提供するには、それなりの見返りもいりますよね。
そんなことを4月の初めに考えていたのですが、4月1日ということで、でたらめと思われてもなんなので(april foolでしたから)、日を変えてまた書きました。
2011年04月03日(日)更新
ドラッカーさんのおことばでは・・・
こんにちは。
社労士の 西村介延 です。
4月早々、魯迅さんのことばで始まりましたこのブログですが、ドラッカーさんもよく似たことばを残されています。
先日紹介した魯迅さんのことばは、「もともとそこには道はない。歩く人が多ければそこが道になるのだ。」
というものでした。
「故郷」では、「希望」というものがあるともいえないしないともいえない、それは道のようなものだ、
といって、このことばが続きます。
これとよく似たことばを、ドラッカーさんも残されています。とてもいいことばだと思うので、補足として書いておきます。
未来を予見することはできないが、未来を切り開くことはできる。
未来を予見する最も適切な方法は、自分で未来を切り開くことだ。
そうですね。
ぼくたち「士業」を含め、自営業・会社経営者の方は、ほかと違うなにかをつくり、お客さんに受け入れてもらう、
またはお客さんがなくて困っているがこれまでにない商品やサービスを提供して、お客さんに満足してもらう、
そうしたことができて、なんぼの世界です。
当然、既にあることを受け入れるのではなく、自分で未来を切り開くために、独立して自分でやってなんぼです。
また、ドラッカーさんは、会社・組織にとっての利益とは、こうしたほかとの「差別化」・お客さんが望みながらまだこの世になかった
商品やサービスを提供したことの見返りだとも、言っています。
だって、なにもないところから、自分で決めて、自分が損をするかもしれないのに、新しいことを始めるんですから、いっぱいリスクがあります。
それを乗り越えて、これまでになかった商品やサービスを提供するには、それなりの見返りもいりますよね。
そんなことを4月の初めに考えていたのですが、4月1日ということで、でたらめと思われてもなんなので(april foolでしたから)、 日を変えてまた書きました。
社労士の 西村介延 です。
4月早々、魯迅さんのことばで始まりましたこのブログですが、ドラッカーさんもよく似たことばを残されています。
先日紹介した魯迅さんのことばは、「もともとそこには道はない。歩く人が多ければそこが道になるのだ。」
というものでした。
「故郷」では、「希望」というものがあるともいえないしないともいえない、それは道のようなものだ、
といって、このことばが続きます。
これとよく似たことばを、ドラッカーさんも残されています。とてもいいことばだと思うので、補足として書いておきます。
未来を予見することはできないが、未来を切り開くことはできる。
未来を予見する最も適切な方法は、自分で未来を切り開くことだ。
そうですね。
ぼくたち「士業」を含め、自営業・会社経営者の方は、ほかと違うなにかをつくり、お客さんに受け入れてもらう、
またはお客さんがなくて困っているがこれまでにない商品やサービスを提供して、お客さんに満足してもらう、
そうしたことができて、なんぼの世界です。
当然、既にあることを受け入れるのではなく、自分で未来を切り開くために、独立して自分でやってなんぼです。
また、ドラッカーさんは、会社・組織にとっての利益とは、こうしたほかとの「差別化」・お客さんが望みながらまだこの世になかった
商品やサービスを提供したことの見返りだとも、言っています。
だって、なにもないところから、自分で決めて、自分が損をするかもしれないのに、新しいことを始めるんですから、いっぱいリスクがあります。
それを乗り越えて、これまでになかった商品やサービスを提供するには、それなりの見返りもいりますよね。
そんなことを4月の初めに考えていたのですが、4月1日ということで、でたらめと思われてもなんなので(april foolでしたから)、 日を変えてまた書きました。
2011年04月03日(日)更新
ドラッカーさんのおことばでは・・・
こんにちは。
社労士の 西村介延 です。
4月早々、魯迅さんのことばで始まりましたこのブログですが、ドラッカーさんもよく似たことばを残されています。
先日紹介した魯迅さんのことばは、「もともとそこには道はない。歩く人が多ければそこが道になるのだ。」
というものでした。
「故郷」では、「希望」というものがあるともいえないしないともいえない、それは道のようなものだ、
といって、このことばが続きます。
これとよく似たことばを、ドラッカーさんも残されています。とてもいいことばだと思うので、補足として書いておきます。
未来を予見することはできないが、未来を切り開くことはできる。
未来を予見する最も適切な方法は、自分で未来を切り開くことだ。
そうですね。
ぼくたち「士業」を含め、自営業・会社経営者の方は、ほかと違うなにかをつくり、お客さんに受け入れてもらう、
またはお客さんがなくて困っているがこれまでにない商品やサービスを提供して、お客さんに満足してもらう、
そうしたことができて、なんぼの世界です。
当然、既にあることを受け入れるのではなく、自分で未来を切り開くために、独立して自分でやってなんぼです。
また、ドラッカーさんは、会社・組織にとっての利益とは、こうしたほかとの「差別化」・お客さんが望みながらまだこの世になかった
商品やサービスを提供したことの見返りだとも、言っています。
だって、なにもないところから、自分で決めて、自分が損をするかもしれないのに、新しいことを始めるんですから、いっぱいリスクがあります。
それを乗り越えて、これまでになかった商品やサービスを提供するには、それなりの見返りもいりますよね。
そんなことを4月の初めに考えていたのですが、4月1日ということで、でたらめと思われてもなんなので(april foolでしたから)、 日を変えてまた書きました。
社労士の 西村介延 です。
4月早々、魯迅さんのことばで始まりましたこのブログですが、ドラッカーさんもよく似たことばを残されています。
先日紹介した魯迅さんのことばは、「もともとそこには道はない。歩く人が多ければそこが道になるのだ。」
というものでした。
「故郷」では、「希望」というものがあるともいえないしないともいえない、それは道のようなものだ、
といって、このことばが続きます。
これとよく似たことばを、ドラッカーさんも残されています。とてもいいことばだと思うので、補足として書いておきます。
未来を予見することはできないが、未来を切り開くことはできる。
未来を予見する最も適切な方法は、自分で未来を切り開くことだ。
そうですね。
ぼくたち「士業」を含め、自営業・会社経営者の方は、ほかと違うなにかをつくり、お客さんに受け入れてもらう、
またはお客さんがなくて困っているがこれまでにない商品やサービスを提供して、お客さんに満足してもらう、
そうしたことができて、なんぼの世界です。
当然、既にあることを受け入れるのではなく、自分で未来を切り開くために、独立して自分でやってなんぼです。
また、ドラッカーさんは、会社・組織にとっての利益とは、こうしたほかとの「差別化」・お客さんが望みながらまだこの世になかった
商品やサービスを提供したことの見返りだとも、言っています。
だって、なにもないところから、自分で決めて、自分が損をするかもしれないのに、新しいことを始めるんですから、いっぱいリスクがあります。
それを乗り越えて、これまでになかった商品やサービスを提供するには、それなりの見返りもいりますよね。
そんなことを4月の初めに考えていたのですが、4月1日ということで、でたらめと思われてもなんなので(april foolでしたから)、 日を変えてまた書きました。
2011年04月01日(金)更新
もともとそこには道はない・・・歩く人が多ければ・・・。
こんにちは。
社労士の 西村介延 です。
いよいよ4月ですね。
新しいことがいっぱい始まります。
このブログもあたらしくなったし。
ぼくも、4月からいくつか、あたらしい世界に入っていくことになりました。
そんなときに思い出すのが、社労士を開業したときに浮かんだ 魯迅さん のことばです。
もともとそこには道はない。歩く人が多ければそこが道になるのだ。
「故郷」の最後の1節です。
中学校か高校で習って、覚えていらっしゃるかたもおられると思います。
これがぼくの、開業時のいわば 「初心」 です。
それがなんで4月と関係あるねん?? と思われるでしょうか??
ぼくたちも経営者のみんさんも、独立して営業するのですから、人と同じことをしていても、独自性が出せません。
人とちがう独自性・オリジナリティが必要です。
そしてその独自性が「市場」・・・外の世界で受け入れられることことが必要です。
このへんのことは、ドラッカーさんの本を読むと、うるさいくらいにいわれています。
そのためには、既存の「道」を通っていてはいけないわけで、独自の道・・・外の世界・市場に受け入れられる「道」を自分で作ることが必要になります。
「道」のないところを歩き、失敗してもくじけないで、外の世界・・市場に受け入れられるサービスを追求することが必要なのだと、開業したときに思ったのでした。
歩く人が少なければ、自分が何回でも歩いて、「道」をつくる。そしてだれでも歩けるようにして、外の世界のひとたちに なるほど!!と思って頂ける自分の道・・サービスをつくること。
そんなことを、開業したときに思ったのでした。
これからあたらしい世界にふみこんでいくにあたって、あらためてこの「初心」・・・魯迅さんのことばを胸に刻むぼくなのでした。
追記
たぶん魯迅さんは、当時の封建的な中国社会に絶望し、個人が大切にされる近代的な中国をつくりたいとおもわれたのでしょう。
そしていまはまだ、その新しい近代的な中国をつくる力は十分には成熟していないけれど、たくさんの人の思いや力があつまれば、いずれはかならず、そこに個人が大切にされる近代中国への 「道」 ができると思われたのだと思います。
(いまの日本だって、そうだと思いますけど・・・。)
そのいみでは、魯迅さんが本来、この言葉に込められた想いとはすこしちがうのかもしれないです。
しかし、まあ、個人的にいつも新しいことに向かうときに、ぼくはこの言葉を思い出すので・・・。
社労士の 西村介延 です。
いよいよ4月ですね。
新しいことがいっぱい始まります。
このブログもあたらしくなったし。
ぼくも、4月からいくつか、あたらしい世界に入っていくことになりました。
そんなときに思い出すのが、社労士を開業したときに浮かんだ 魯迅さん のことばです。
もともとそこには道はない。歩く人が多ければそこが道になるのだ。
「故郷」の最後の1節です。
中学校か高校で習って、覚えていらっしゃるかたもおられると思います。
これがぼくの、開業時のいわば 「初心」 です。
それがなんで4月と関係あるねん?? と思われるでしょうか??
ぼくたちも経営者のみんさんも、独立して営業するのですから、人と同じことをしていても、独自性が出せません。
人とちがう独自性・オリジナリティが必要です。
そしてその独自性が「市場」・・・外の世界で受け入れられることことが必要です。
このへんのことは、ドラッカーさんの本を読むと、うるさいくらいにいわれています。
そのためには、既存の「道」を通っていてはいけないわけで、独自の道・・・外の世界・市場に受け入れられる「道」を自分で作ることが必要になります。
「道」のないところを歩き、失敗してもくじけないで、外の世界・・市場に受け入れられるサービスを追求することが必要なのだと、開業したときに思ったのでした。
歩く人が少なければ、自分が何回でも歩いて、「道」をつくる。そしてだれでも歩けるようにして、外の世界のひとたちに なるほど!!と思って頂ける自分の道・・サービスをつくること。
そんなことを、開業したときに思ったのでした。
これからあたらしい世界にふみこんでいくにあたって、あらためてこの「初心」・・・魯迅さんのことばを胸に刻むぼくなのでした。
追記
たぶん魯迅さんは、当時の封建的な中国社会に絶望し、個人が大切にされる近代的な中国をつくりたいとおもわれたのでしょう。
そしていまはまだ、その新しい近代的な中国をつくる力は十分には成熟していないけれど、たくさんの人の思いや力があつまれば、いずれはかならず、そこに個人が大切にされる近代中国への 「道」 ができると思われたのだと思います。
(いまの日本だって、そうだと思いますけど・・・。)
そのいみでは、魯迅さんが本来、この言葉に込められた想いとはすこしちがうのかもしれないです。
しかし、まあ、個人的にいつも新しいことに向かうときに、ぼくはこの言葉を思い出すので・・・。
2011年03月27日(日)更新
着眼大局、着手小局・・・、ドラッカーさんも言ってるよ!
こんにちは。
社労士の 西村介延 です。
このあいだから、あたらしい ひとのあいだ と言っているけれど、このブログもまた、新しくなるのですよね。
4月からぼくも忙しくなって、いまからスケジュールがいっぱいです(貧乏ひまなし!!)。
こんなときに思うのが、「着眼大局、着手小局」ということばです。
いま自分にできることはごく小さい・ひとつかふたつのことだけれど、目の前の仕事だけ見るんじゃなくて、眼と心だけはいつも大きなところを見てね!というような意味合いだと理解しています。
ドラッカーさんが、下を向くな・上を向け、自分の作業だけでなく、全体を見よ、といったり、内側、つまり自社内の都合ではなく市場、つまりお客さんの求めるものを見よ、と言っているのも、同じことだと思っています。
自分の担当よりも全体を、会社全体よりお客さんを!という「より大局」を見据える眼を持ちたいと思っています。
お客さんが何か言ってきてるのに、いま忙しいんで後にして!!って言いそうですもん、ぼく。
これって、完璧に「小局」で、「消極」のほうに行ってます。
そうか!!「小局」は「消極」だったんですよね!
(パソコンの誤変換のおかげでおもしろいことに気付いたぼくでした)
そのときに「大局」を見る羅針盤になるのが、自分の事業とはなにか・自分は何がしたくて事業をしているのか(事業の使命)だと理解しています。
(やっぱり同友会の経営指針確立・成文化セミナーに行こうかなあ!)
これはぼくの個人的なお話だけれど、地震についてもやっぱり同じことなんじゃないかな、って思います。
テレビ報道で水が足りないといえば、スーパーに行ってもペットボトルの水が売り切れていたり、電池が売り切れていたり・・・。
地震に備えること、被災地を支援することはぜひ必要なことではありますが、これって完璧にマスコミに誘導されてません???不安に付け込んでどんどん誘導される・・・。とてもこわいです。
目の前のこと、「小局」に走って、「大局」を見忘れていません??
「小局」に惑わされないよう、いつも「平常心」で「大局」を見ている眼と心は、持っていたいと思います(3月18日の記事もみてくださいね)。
社労士の 西村介延 です。
このあいだから、あたらしい ひとのあいだ と言っているけれど、このブログもまた、新しくなるのですよね。
4月からぼくも忙しくなって、いまからスケジュールがいっぱいです(貧乏ひまなし!!)。
こんなときに思うのが、「着眼大局、着手小局」ということばです。
いま自分にできることはごく小さい・ひとつかふたつのことだけれど、目の前の仕事だけ見るんじゃなくて、眼と心だけはいつも大きなところを見てね!というような意味合いだと理解しています。
ドラッカーさんが、下を向くな・上を向け、自分の作業だけでなく、全体を見よ、といったり、内側、つまり自社内の都合ではなく市場、つまりお客さんの求めるものを見よ、と言っているのも、同じことだと思っています。
自分の担当よりも全体を、会社全体よりお客さんを!という「より大局」を見据える眼を持ちたいと思っています。
お客さんが何か言ってきてるのに、いま忙しいんで後にして!!って言いそうですもん、ぼく。
これって、完璧に「小局」で、「消極」のほうに行ってます。
そうか!!「小局」は「消極」だったんですよね!
(パソコンの誤変換のおかげでおもしろいことに気付いたぼくでした)
そのときに「大局」を見る羅針盤になるのが、自分の事業とはなにか・自分は何がしたくて事業をしているのか(事業の使命)だと理解しています。
(やっぱり同友会の経営指針確立・成文化セミナーに行こうかなあ!)
これはぼくの個人的なお話だけれど、地震についてもやっぱり同じことなんじゃないかな、って思います。
テレビ報道で水が足りないといえば、スーパーに行ってもペットボトルの水が売り切れていたり、電池が売り切れていたり・・・。
地震に備えること、被災地を支援することはぜひ必要なことではありますが、これって完璧にマスコミに誘導されてません???不安に付け込んでどんどん誘導される・・・。とてもこわいです。
目の前のこと、「小局」に走って、「大局」を見忘れていません??
「小局」に惑わされないよう、いつも「平常心」で「大局」を見ている眼と心は、持っていたいと思います(3月18日の記事もみてくださいね)。
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