大きくする 標準 小さくする

2011年02月11日(金)更新

モーツァルトの音楽って、心と体にいいのだろうか??

 こんにちは。
 社労士の西村介延です。

  メンタルヘルス( 心の健康 と言ったりします)

 を テーマ にしていきたいのですが、
自分の中で少し考えていることがあります。

 それは    モーツァルトの音楽が心や体にいい 
                    
 といわれることについてです。

 皆さんもこの話はお聞きになったことがあると思います。
 たとえば、
      牛に聴かせたらおいしい肉が取れた とか、
      氷を作るのに聴かせたら美しい芸術品ができた とか、
      頭がよくなるモーツァルト とか・・・。 
  
 確かに、例えば 「フルートとハープのための協奏曲」 などは、
ハープがの音が 水に溶けていく 泡 のようで、夏の暑い昼日中に聴くと、
清涼感にあふれ、暑さをしばし忘れます。
 また、「ポストホルン・セレナーデ」も、
彼の生きた時代の郵便馬車の警笛(ポストホルン)を使って、
ほんわかした楽しい気分を味わえます。

 これらの音楽が心にも体にも、響くことは否定しません。

 
 しかし、モーツァルトは、よく言われるように、

   顔には満面の笑みを浮かべているが、目にはいっぱい涙があふれている
      とか、
   本来は明るいはずの、長調でも、悲しい音楽が描けた 

 人です。その基本は ねくら(?) だったように思えます。

 たとえば、彼の  ピアノ協奏曲24番 は、
    20番 とともに、短調の曲ですが、
      第1楽章 出だしのおどろおどろしい感じ といい、
      第2楽章 の暗さ といい、
 モーツァルティアン を自称する人でも、嫌う人がいます。
 ぼくも、第2楽章 を聴いて 涙を流さない人は 信用できない
とさえ、思っています。

 先に例示した 「フルートとハープの協奏曲」 や「ポストホルン」も、
明るく、楽しいなかに、おそろしいほどの 暗さ を宿していることは、
ぼーっと聴いているぼくにも、分ります。

 そうだとすると、
   旋律の美しさ や 楽器の使い方の巧みさ のゆえに、
心と体によい・・・とされることがあっても、

本当にそう言い切れるかは、???  だと思っているのですが・・・。

 傍証として、僕のよく行く クラシックCD専門店の責任者のひとは、

   それが本当なら、俺でも もっと頭ようなって、東大 行ってるで。

と、立ち話をしていたのを聞いたことがある、

と、付け加えておきます。


 誤解のないように、付言しますが、
ここに書いたことは、モーツァルトの音楽や その演奏の価値を
いささかも低めるものではありません。

 なんでもそうでしょうが、
そのものの価値をそれ自体として評価すべきもので、
実証されていない付加的な価値をあまり大きくは評価できない
 
ということだと思います。

 思っていたことを書いたら、音楽を聞きたくなったので、家に帰って、
   内田光子 の弾き振り(ピアノと指揮) の
   最新CD ピアノ協奏曲 21番・27番              を聴くことにします。

 やっぱりモーツァルトはいいねえ!
<<  2024年3月  >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

バックナンバー