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2011年03月15日(火)更新

こんなときだからこそ・・・!

 こんにちは。
 社労士の 西村介延 です。

 このたびの地震では推定で1万人を超える方が亡くなられたと聞いています。
 痛ましいことだと思います。「1万人」とかいうけれど、みんな家族があり、職場があり、と言った具体的な生活を営んでいた人たちです。夫であり、
妻であり、子供であり、孫であるという個性を持っている人たちです。

 そういえば、きょうは火曜日です。
 みなさんにとって火曜日は、きっと月曜日の次の日で、水曜日の前の日だと思います。。
 ぼく(たちの家族)にとっては、一人の人間が亡くなった日です。

 何週間か前の火曜日、去年の6月29日の早朝、5時1分に、交差点で右折すべく信号待ちをしていたバイクに、直進レーンを進行するはずの乗用車が衝突して、交差点の反対側まで飛ばされて、1時間半後に亡くなりました。

 相手は、のちに公判であきらかになったところでは、仮睡状態で、バイクに衝突する前にも分離帯に衝突しているのに運転をやめなかったといいます。そして、無残にも一人の命を奪ったのでした。
 そうであるのに、彼はぼくたち家族に眠っていたことを認めず、遠くを見ていた、眠っていないと言い張りました。

 いままでいっしょに暮らしてきたうちのひとりが、あさ「行ってきます」と
家を出たまま帰ってこない。
 その悲しみやつらさは、実際にその状況にならないとわからないです。
 だから、このたび被災された方や家族が亡くなられた方のつらさはなかなか
共有できるものではないです。

 しかし自分の体験上、これだけは言えると思います。
 
  こんなときだからこそ、家族や友人、同僚といっしょに生きる!!

 ぼくたち家族もこの何か月か、そうしてやって来ました。
 2所帯を1つにまとめて家族がいっしょにくらすようにし、加害者との話し合いには法科大学院時代の友人につきあってもらいましたし、刑法の教授には29ページの上申書を何回も見て頂きました。家族や友人、恩師といったひとのおかげで、これまでなんとかやって来れたのだと思っています。

 このあいだ、その友人のお母さんが突然亡くなったときは、ぼくもお母さんの葬儀に立ち会いました。ぼくのときのお返しになにかお手伝いを、と思っていたのですが、なにもできませんでした。お父さんとドイツ古典哲学の話をしてごはんを食べただけでした。
 それでもその友人からは、おかげで父親も気が軽くなったようです、というお礼の言葉を頂きました。

 そうやって人間同士で励まし合い、助け合うこと、そのことが今回のような
大変な時期には求められるのではないでしょうか??
 
 自分のつたない経験から、そう思うのです。
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