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2011年04月28日(木)更新
「もしドラ」見てはりますか?? ちょっと眠いですよね。
こんにちは。
社労士の 西村介延 です。
「もしドラ」みてはりますか~~??
眠たいですね。ぼくはいったん10時に寝て、始まる時刻に起きる生活です(笑)。
隣のビルの兄貴分の労務士さんも、「寝てる」とだけメールをくれました。
さて、きょうは「もしドラ」では正面からとりあげていないけれど、ドラッカーさんがけっこう重視していることを書きたいと思います。
当然ですが、ぼくが大事に思っているからですが・・・。
それは、「体系的廃棄」ということについてです。
なんかきつい表現ですよね。
コンビニ業界なんかでは、売れ残ったっ商品の処理といういみで「廃棄」といったりするようなので、ドキッとします。
しかしドラッカーさんがいっているのは、もっと積極的な意味だと思いますよ。
要は、自分の使命とするべき事業に集中したいがために、集中の妨げになるものをメインからはずすということでしょうか?
「マネジメント」上巻では、「体系的廃棄」の表題のもとで、」「われわれの事業は何か。何になるか。何であるべきか。」を決定する上で、 既存の商品やサービス・チャネルが昨日同様、いまもまだ有効か? 有効でないならばいかにして廃棄するか?の問題は避けられないといっています(120ページ以下)。
そのうえで、この「体系的廃棄」をはじめて論じたのが、「創造する経営者」だった、といって、そっちを読んでね!といいいます。
で、そっちをよむと、たしかに187ページ以下に「機会の最大化」という表題で、「廃棄することに機会を見出す」と書いてあります。
「廃棄することに機会を見出す」ということ、すなわち、自分の持っている資源(限りなくあるわけではありません)をより自分の事業に有効に使う、資源を集中するということなのでしょう。この本のはじめのほうでは、集中こそが必要だと強く書かれています。
この「体系的廃棄」を読んで思い出したのが、ゲーテの図書館をつくった粉河忠さんのお話です。
作家の阿刀田高さんはこの人をモデルにして、「ナポレオン狂」や「夜の旅人」を書かれました。
ぼくが思い出したというのは、「夜の旅人」のほうです。
粉川さんは戦前戦後を通して、当時の東京帝国大学教授から個人レッスンを受けておられました。
そのレッスンのある日、レポートを書けといわれます。テーマは「諦念」について。
粉川さんはそんなことは考えたこともないわ・・・と思いつつ、レポートを出したところ、こんなものではレポートになっていないと突っ返されます。
粉川さんが「諦念」なんて考えたこともないので、わかりませんというと、その教授いわく。
諦念というのは何もかもをあきらめてしまうということではない。もっと積極的なものだ。
自分のしたいこと・やりたいことのために、自分のエネルギーをに集中することを ゲーテさんは「諦念」という言葉で言い表しているのだ。
おなじことを、兵役に行った先の上官(この上官は粉川さんのドイツ語の先生でした)からもいわれます。
ドイツ語は魔物だ。突っ込んでいけばいくらでも突っ込める。
しかしドイツ語を勉強すると言っても、図書館をつくるために勉強するのだから、細かいことにこだわるな。
その目的に必要な文献が最低限読めればいい・その範囲で勉強しろ。
ぼくはこの2つのお話が好きで、なんちゃいうてはこのお話をして、マニアになってはいかん、目的に必要な範囲にしろ、というお話をしました。このお話は勉強だけに限ったことではないと、ずっと思ってましたし、仕事の中でも心がけてきたことです。
ドラッカーさんの本を読んで、自分の発想が間違っていなかったのだと思ったのでした。
そんなわけで、「もしドラ」ではでて来ない話ではありますが、書きました。
抽象的に学問的に読んでも、ドラッカーさんの本は眠たいだけだとおもうけれど、自分の体験や思い続けてきたことと関わらせて読むと、おもしろいかもね。
社労士の 西村介延 です。
「もしドラ」みてはりますか~~??
眠たいですね。ぼくはいったん10時に寝て、始まる時刻に起きる生活です(笑)。
隣のビルの兄貴分の労務士さんも、「寝てる」とだけメールをくれました。
さて、きょうは「もしドラ」では正面からとりあげていないけれど、ドラッカーさんがけっこう重視していることを書きたいと思います。
当然ですが、ぼくが大事に思っているからですが・・・。
それは、「体系的廃棄」ということについてです。
なんかきつい表現ですよね。
コンビニ業界なんかでは、売れ残ったっ商品の処理といういみで「廃棄」といったりするようなので、ドキッとします。
しかしドラッカーさんがいっているのは、もっと積極的な意味だと思いますよ。
要は、自分の使命とするべき事業に集中したいがために、集中の妨げになるものをメインからはずすということでしょうか?
「マネジメント」上巻では、「体系的廃棄」の表題のもとで、」「われわれの事業は何か。何になるか。何であるべきか。」を決定する上で、 既存の商品やサービス・チャネルが昨日同様、いまもまだ有効か? 有効でないならばいかにして廃棄するか?の問題は避けられないといっています(120ページ以下)。
そのうえで、この「体系的廃棄」をはじめて論じたのが、「創造する経営者」だった、といって、そっちを読んでね!といいいます。
で、そっちをよむと、たしかに187ページ以下に「機会の最大化」という表題で、「廃棄することに機会を見出す」と書いてあります。
「廃棄することに機会を見出す」ということ、すなわち、自分の持っている資源(限りなくあるわけではありません)をより自分の事業に有効に使う、資源を集中するということなのでしょう。この本のはじめのほうでは、集中こそが必要だと強く書かれています。
この「体系的廃棄」を読んで思い出したのが、ゲーテの図書館をつくった粉河忠さんのお話です。
作家の阿刀田高さんはこの人をモデルにして、「ナポレオン狂」や「夜の旅人」を書かれました。
ぼくが思い出したというのは、「夜の旅人」のほうです。
粉川さんは戦前戦後を通して、当時の東京帝国大学教授から個人レッスンを受けておられました。
そのレッスンのある日、レポートを書けといわれます。テーマは「諦念」について。
粉川さんはそんなことは考えたこともないわ・・・と思いつつ、レポートを出したところ、こんなものではレポートになっていないと突っ返されます。
粉川さんが「諦念」なんて考えたこともないので、わかりませんというと、その教授いわく。
諦念というのは何もかもをあきらめてしまうということではない。もっと積極的なものだ。
自分のしたいこと・やりたいことのために、自分のエネルギーをに集中することを ゲーテさんは「諦念」という言葉で言い表しているのだ。
おなじことを、兵役に行った先の上官(この上官は粉川さんのドイツ語の先生でした)からもいわれます。
ドイツ語は魔物だ。突っ込んでいけばいくらでも突っ込める。
しかしドイツ語を勉強すると言っても、図書館をつくるために勉強するのだから、細かいことにこだわるな。
その目的に必要な文献が最低限読めればいい・その範囲で勉強しろ。
ぼくはこの2つのお話が好きで、なんちゃいうてはこのお話をして、マニアになってはいかん、目的に必要な範囲にしろ、というお話をしました。このお話は勉強だけに限ったことではないと、ずっと思ってましたし、仕事の中でも心がけてきたことです。
ドラッカーさんの本を読んで、自分の発想が間違っていなかったのだと思ったのでした。
そんなわけで、「もしドラ」ではでて来ない話ではありますが、書きました。
抽象的に学問的に読んでも、ドラッカーさんの本は眠たいだけだとおもうけれど、自分の体験や思い続けてきたことと関わらせて読むと、おもしろいかもね。
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