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2011年04月05日(火)更新
おなじ宗教的真理をかたる老人と子供・・・
こんにちは。
社労士の 西村介延 です。
これまで2回、魯迅さんのことばを手掛かりに、あたらしい出会いを期待することばを書きました。
いつも記事を見て頂いているメンタルヘルスの師匠から、この記事についての感想をいただきました。
そこには、「うん、うんとうなづいてました」とあり、「最初に比べたら、めっちゃ読みやすくなりました!!」
と書かれていました。
師匠におほめ頂くのはとてもうれしいですが、それだけをあえて書いてもおもしろくありません。
ぼくが書きたいのは、ブログをとおして、市場たる訪問者の目線を意識する視点ができてきたことです。
そのことから、うれしかったのは、「最初に比べたら、めっちゃ読みやすくなりました!!」とかいてあるところです。
たしかに書いているうちに自然にうまくなるひともいますが、ぼくはそうではありません。
たいがいのブロガーさんがそうだと思いますが、まずはブログを通して自分の訴えたいこと・これを主張するためにブログをやっているというものがあると思います。(これをドラッカーさんは「事業の定義」と呼んでいます。)
そして、その主張をブログの市場・ブログの訪問者のかたに受け入れてもらえるように、ほかの人のブログをみたり新聞をよんだりして、
書き方やアピールの仕方を学ぶのだと思います。
そのことをとおしてブロガーは、おなじことを言うにしても、きのうはおとといよりも、きょうはきのうよりも、まちがいなくわかりやすく、
自分の主張をより多くの人に受け入れてもらえる方法を考えるのだと思います。(それはもちろん、こびることではありません。)
「記事タイトル」にかいた 「おなじ宗教的真理をかたる老人と子供」 というのは、ドイツの哲学者・ヘーゲルさんのことばです。
たとえば「神さまはおわします」という同じことばを発するにしても、こどもは親や教師に教えられてそのとおり言っているだけかもしれないです。
しかし老人は、青年期に恋人に振られたり・入学試験に落ちたり・志望の会社に入れなったり・昇進がおくれたり・・・といろんな状況に置かれて、「神も仏もあるもんか!!!」というおもいをなんべんもしてきたはずです。
そしていま、老人はこれまでの人生を振り返っておもうのです、「やはり神はおわします」と。
おなじ「神はおわします」ということばではありますが、子どもと老人では、その体験にもとづく重み・説得力・表現方法は変わってきます。
ヘーゲルさんはドイツ古典哲学という立場からそういいましたけど、ドラッカーさんなら外部の世界・市場の求めるものを発信する努力がよりよい記事を生み出し、その結果としてブログが市場に受け入れられたのだ、というでしょう。
師匠のおことばを、ぼくはそういう視点でとらえました。
たかがブログ、されどブログ。
ブログでも、ドラッカーさんのいうマーケティングとイノベーションはできるかもよ!!
またまた追記。
いまの日本で、「神はおわします」と、こころからいえる老人は、いったいどれくらいいるでしょうか??
地震の現場でなくても、です。
しかし、ヘーゲルさんはあくまで自分の理論を説明するための例示として使っているだけなので。
それから、師匠。
おほめ頂いてありがとうございます。
これからもいっぱいほめてくださいね!!
ぼくは、ほめられtてのびるタイプなので・・・。
それから、メンタルヘルスの情報も、たのんます。
社労士の 西村介延 です。
これまで2回、魯迅さんのことばを手掛かりに、あたらしい出会いを期待することばを書きました。
いつも記事を見て頂いているメンタルヘルスの師匠から、この記事についての感想をいただきました。
そこには、「うん、うんとうなづいてました」とあり、「最初に比べたら、めっちゃ読みやすくなりました!!」
と書かれていました。
師匠におほめ頂くのはとてもうれしいですが、それだけをあえて書いてもおもしろくありません。
ぼくが書きたいのは、ブログをとおして、市場たる訪問者の目線を意識する視点ができてきたことです。
そのことから、うれしかったのは、「最初に比べたら、めっちゃ読みやすくなりました!!」とかいてあるところです。
たしかに書いているうちに自然にうまくなるひともいますが、ぼくはそうではありません。
たいがいのブロガーさんがそうだと思いますが、まずはブログを通して自分の訴えたいこと・これを主張するためにブログをやっているというものがあると思います。(これをドラッカーさんは「事業の定義」と呼んでいます。)
そして、その主張をブログの市場・ブログの訪問者のかたに受け入れてもらえるように、ほかの人のブログをみたり新聞をよんだりして、
書き方やアピールの仕方を学ぶのだと思います。
そのことをとおしてブロガーは、おなじことを言うにしても、きのうはおとといよりも、きょうはきのうよりも、まちがいなくわかりやすく、
自分の主張をより多くの人に受け入れてもらえる方法を考えるのだと思います。(それはもちろん、こびることではありません。)
「記事タイトル」にかいた 「おなじ宗教的真理をかたる老人と子供」 というのは、ドイツの哲学者・ヘーゲルさんのことばです。
たとえば「神さまはおわします」という同じことばを発するにしても、こどもは親や教師に教えられてそのとおり言っているだけかもしれないです。
しかし老人は、青年期に恋人に振られたり・入学試験に落ちたり・志望の会社に入れなったり・昇進がおくれたり・・・といろんな状況に置かれて、「神も仏もあるもんか!!!」というおもいをなんべんもしてきたはずです。
そしていま、老人はこれまでの人生を振り返っておもうのです、「やはり神はおわします」と。
おなじ「神はおわします」ということばではありますが、子どもと老人では、その体験にもとづく重み・説得力・表現方法は変わってきます。
ヘーゲルさんはドイツ古典哲学という立場からそういいましたけど、ドラッカーさんなら外部の世界・市場の求めるものを発信する努力がよりよい記事を生み出し、その結果としてブログが市場に受け入れられたのだ、というでしょう。
師匠のおことばを、ぼくはそういう視点でとらえました。
たかがブログ、されどブログ。
ブログでも、ドラッカーさんのいうマーケティングとイノベーションはできるかもよ!!
またまた追記。
いまの日本で、「神はおわします」と、こころからいえる老人は、いったいどれくらいいるでしょうか??
地震の現場でなくても、です。
しかし、ヘーゲルさんはあくまで自分の理論を説明するための例示として使っているだけなので。
それから、師匠。
おほめ頂いてありがとうございます。
これからもいっぱいほめてくださいね!!
ぼくは、ほめられtてのびるタイプなので・・・。
それから、メンタルヘルスの情報も、たのんます。
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