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2011年04月08日(金)更新
やはり、「神はおわします」・・ここから事業者として学ぶこと・・・。
こんにちは。
社労士の 西村介延 です。
このあいだ、同じことばでも、子どもが言うのと老人が言うのでは、ことばの持つ重み・人生の裏付けがある分、深いのだというお話をさせて頂きました。
子どもが親や教師に「神はおわします」と教えられてその通り覚えているだけなのに対し、老人は「神も仏もあるか!!」という否定を
人生経験のなかで味わいます。しかし結局は「神はおわします」に戻る。
老人が発するこの言葉は、同じことばでありながら、子どものときに覚えたものをいったん否定したうえで、その否定を含んだより豊かなものとして再生したものです。
ここからわれわれ事業を営む者が何を学べばいいのでしょうか??
ぼくはこう考えています。
事例1
ある企画を提案する・会議で議論する・否定的意見や反対論・懐疑的な意見も出る・ここで提案はいったん否定される。
しかし、営業担当がこれは売れそうだと言う・念のためにリサーチしたら顧客のニーズに合っていそうだというので、企画がとおる。
このとおった企画は、当初の提案とたとえおなじものとしても、いったん否定され、そのうえでより豊かなものとして再生しています。
当初の案そのものではありません。
ドラッカーさんも、反対意見の出ない意見は採用に値しない・積極的議論を尽くすことが必要だと、繰り返し述べています。
理由は上と同じです。
議論を尽くし、自分の意見もさんざん出した後なら、それぞれの担当者が自分の問題として取り組まざるをえないのです。
文句があるならさきに会議で言ってよね!!
あんた、さんざん言いたいこと言ったじゃない・・・それだけ言うなら、やってみてよ!!
こういうことです。
このあいだも、メンタルヘルスの師匠からメールが来て、ゼミやるんだけど、自分の案を講師の先生に否定されちゃった・・・と。
メンタルヘルスの実務をあまり知らないひとに、いきなりメンタル不調者の職場復帰の手順やケアの方法を教えてどうすんねん??と言われたらしいです。
ぼくは例によって、だれが顧客で、顧客は何を求めているかから考えるしかないでしょうねえ・・・と無責任なお答えをしておりました。その後、講師ともよく話し合って、より参加者たる顧客の求めるものにしましたと言ってきてました。
師匠には悪いんだけど、これなんかも否定されることで、当初の案がより豊かなものになったケースです。
事例2
これは法律論やビジネスの文書で、見解の分かれる議論のときによく見かけるスタイルなのですが・・・。
いったんは自分の考え方を述べ、しかしたしかに反対の考え方もある・その考え方はこんなことを理由にしているようだ。
それもまあ、たしかにあたっている。
しかし、と言って自分の考え方を述べる…というやり方です。
これもただ自分の考え方だけのべるのではなくて、反対の立場を考慮して、それでも・・・と、より豊かなものとして自分の考え方をのべているので、説得力があります。
「神はおわします」というのは、ぼくがヘーゲルさんのことばを理解するために考えた例です。
ヘーゲルさんはおなじ宗教的真理を語る老人と子供・・・・というにj止まっています。
しかし、これだけでもけっこう仕事を振り返る材料になりますよ。
明日は泊まり込みの指針セミナーです。
諸先輩の指導によってこれまでの自分の考えを否定されて、より豊かな自分になって再生したいと思います。
社労士の 西村介延 です。
このあいだ、同じことばでも、子どもが言うのと老人が言うのでは、ことばの持つ重み・人生の裏付けがある分、深いのだというお話をさせて頂きました。
子どもが親や教師に「神はおわします」と教えられてその通り覚えているだけなのに対し、老人は「神も仏もあるか!!」という否定を
人生経験のなかで味わいます。しかし結局は「神はおわします」に戻る。
老人が発するこの言葉は、同じことばでありながら、子どものときに覚えたものをいったん否定したうえで、その否定を含んだより豊かなものとして再生したものです。
ここからわれわれ事業を営む者が何を学べばいいのでしょうか??
ぼくはこう考えています。
事例1
ある企画を提案する・会議で議論する・否定的意見や反対論・懐疑的な意見も出る・ここで提案はいったん否定される。
しかし、営業担当がこれは売れそうだと言う・念のためにリサーチしたら顧客のニーズに合っていそうだというので、企画がとおる。
このとおった企画は、当初の提案とたとえおなじものとしても、いったん否定され、そのうえでより豊かなものとして再生しています。
当初の案そのものではありません。
ドラッカーさんも、反対意見の出ない意見は採用に値しない・積極的議論を尽くすことが必要だと、繰り返し述べています。
理由は上と同じです。
議論を尽くし、自分の意見もさんざん出した後なら、それぞれの担当者が自分の問題として取り組まざるをえないのです。
文句があるならさきに会議で言ってよね!!
あんた、さんざん言いたいこと言ったじゃない・・・それだけ言うなら、やってみてよ!!
こういうことです。
このあいだも、メンタルヘルスの師匠からメールが来て、ゼミやるんだけど、自分の案を講師の先生に否定されちゃった・・・と。
メンタルヘルスの実務をあまり知らないひとに、いきなりメンタル不調者の職場復帰の手順やケアの方法を教えてどうすんねん??と言われたらしいです。
ぼくは例によって、だれが顧客で、顧客は何を求めているかから考えるしかないでしょうねえ・・・と無責任なお答えをしておりました。その後、講師ともよく話し合って、より参加者たる顧客の求めるものにしましたと言ってきてました。
師匠には悪いんだけど、これなんかも否定されることで、当初の案がより豊かなものになったケースです。
事例2
これは法律論やビジネスの文書で、見解の分かれる議論のときによく見かけるスタイルなのですが・・・。
いったんは自分の考え方を述べ、しかしたしかに反対の考え方もある・その考え方はこんなことを理由にしているようだ。
それもまあ、たしかにあたっている。
しかし、と言って自分の考え方を述べる…というやり方です。
これもただ自分の考え方だけのべるのではなくて、反対の立場を考慮して、それでも・・・と、より豊かなものとして自分の考え方をのべているので、説得力があります。
「神はおわします」というのは、ぼくがヘーゲルさんのことばを理解するために考えた例です。
ヘーゲルさんはおなじ宗教的真理を語る老人と子供・・・・というにj止まっています。
しかし、これだけでもけっこう仕事を振り返る材料になりますよ。
明日は泊まり込みの指針セミナーです。
諸先輩の指導によってこれまでの自分の考えを否定されて、より豊かな自分になって再生したいと思います。
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