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2012年05月02日(水)更新
運転免許が 「許可」だということを、もっと考えないとダメですね・・・
みなさま、こんにちは。
熱血漢社労士 西村介延 です。
自動車事故のニュースばかりで、うんざりですね。
楽しいはずのゴールデンウイークも、すっとんで、事故にあったらどうしょう・・・なんて萎縮しちゃいます。
その原因の多くが、居眠り運転です。
義理の弟がやられたのも、居眠り運転の学生の車です。
くるまの便利さや運転の必要はいまさら、否定しても仕方ありませんが・・・。
もういっぺん、運転免許が講学上、「許可」とされていること を考えてみてもいいのではないですか?
許可とは?
ひとが場所を移動して好きなところへ行く自由 は、憲法でも保障されている権利です。
だから、(日本国内では)移動は本来、権力からもだれからも、侵されることはありません。
外国へ移動するには、主権国家間の移動ですので、これは別の規制が入りますけどね。
しかし、自動で動き、それなりの制御が必要な機械を使うときは?
危ないですから、それなりに規制が要りますよね。
精神の成熟が必要ですし、法規を理解して運転する力も、暴走したらどんな事態を招くかの想像力だって、必要でしょう。
だから、自分の足で移動するのは自由でも、そうでなくて車の移動するには一定の網をかけることが必要です。
だから、本来は自由なものを、一律禁止して、規制の枠に入るものだけ、自由を認めよう、というのが、許可 とされています。
ただ、こうした発想は最近、流行りません。
許可の性質を持つから・・・どうやねん?
いまはあんまりそういう発想をしないみたいです。
ちょっとマニアックだけど、たとえばですね。
行政の行為には、下命・免除・禁止・許可・・・特許・剥権・認可・代理・・・確認・公証・通知・受理などという分類がありまして・・・。
お経です。お経を暗記したようです。
お経といって悪ければ、呪文・・・かな?
で、たとえば、この行為は特許にあたるから、許可にあたるから、性質はこう。
だから、こういう結論・・・みたいな発想が普通だったそうです、むかしは。
いまは、ちょっと流行らないです。
しかしですね。
たしかにそう考えると・・・。
原付バイクと自動二輪・普通乗用車では、取得できる年齢に差があることが理解しやすいです。
時速や大きさ・車輪の数など、それぞれ異なるので、精神の成熟に応じて、違いを設けていると考えられます。
また何年かに一度チェックし、無事故であればそのチェックの間隔を長くするという運用も理解できます。
そうした 「許可」 の性質を持つ運転免許。
ひとのいのちや身体を一瞬に奪う危険なものを扱うからこそ、本来は自由なものに一定の規制をかけているのだということ。
法規を理解し、事故ったときの被害を想像できる精神の成熟が前提になっているということ。
難しいことをいっても仕方ないですが。
せめて、眠たいときに運転して、もし眠ってしまったら??という想像力くらいは、たいがい持つもんですけどね。
いままで大丈夫だった・・・。
これまで事故起こさなかった・・・。
さっきもガードレールにぶつかりそうだったけど、セーフだった・・・(義弟の加害者の場合)。
こうしたレベルのヒヤリ・ハットを重視しない人たちが、運転してるってことなんすよね。
こうしたことを、もういちど、考えてみてもいいのでは?
免許・無免許をとわず、この1か月だけでも、数えきれないほどの自動車事故がありました。
本来は自由なものを、いったん禁止して、一定の要件を満たすものにだけ、許可してるということ。
もういっぺん、考えてみてもいいのでは?
熱血漢社労士 西村介延 です。
自動車事故のニュースばかりで、うんざりですね。
楽しいはずのゴールデンウイークも、すっとんで、事故にあったらどうしょう・・・なんて萎縮しちゃいます。
その原因の多くが、居眠り運転です。
義理の弟がやられたのも、居眠り運転の学生の車です。
くるまの便利さや運転の必要はいまさら、否定しても仕方ありませんが・・・。
もういっぺん、運転免許が講学上、「許可」とされていること を考えてみてもいいのではないですか?
許可とは?
ひとが場所を移動して好きなところへ行く自由 は、憲法でも保障されている権利です。
だから、(日本国内では)移動は本来、権力からもだれからも、侵されることはありません。
外国へ移動するには、主権国家間の移動ですので、これは別の規制が入りますけどね。
しかし、自動で動き、それなりの制御が必要な機械を使うときは?
危ないですから、それなりに規制が要りますよね。
精神の成熟が必要ですし、法規を理解して運転する力も、暴走したらどんな事態を招くかの想像力だって、必要でしょう。
だから、自分の足で移動するのは自由でも、そうでなくて車の移動するには一定の網をかけることが必要です。
だから、本来は自由なものを、一律禁止して、規制の枠に入るものだけ、自由を認めよう、というのが、許可 とされています。
ただ、こうした発想は最近、流行りません。
許可の性質を持つから・・・どうやねん?
いまはあんまりそういう発想をしないみたいです。
ちょっとマニアックだけど、たとえばですね。
行政の行為には、下命・免除・禁止・許可・・・特許・剥権・認可・代理・・・確認・公証・通知・受理などという分類がありまして・・・。
お経です。お経を暗記したようです。
お経といって悪ければ、呪文・・・かな?
で、たとえば、この行為は特許にあたるから、許可にあたるから、性質はこう。
だから、こういう結論・・・みたいな発想が普通だったそうです、むかしは。
いまは、ちょっと流行らないです。
しかしですね。
たしかにそう考えると・・・。
原付バイクと自動二輪・普通乗用車では、取得できる年齢に差があることが理解しやすいです。
時速や大きさ・車輪の数など、それぞれ異なるので、精神の成熟に応じて、違いを設けていると考えられます。
また何年かに一度チェックし、無事故であればそのチェックの間隔を長くするという運用も理解できます。
そうした 「許可」 の性質を持つ運転免許。
ひとのいのちや身体を一瞬に奪う危険なものを扱うからこそ、本来は自由なものに一定の規制をかけているのだということ。
法規を理解し、事故ったときの被害を想像できる精神の成熟が前提になっているということ。
難しいことをいっても仕方ないですが。
せめて、眠たいときに運転して、もし眠ってしまったら??という想像力くらいは、たいがい持つもんですけどね。
いままで大丈夫だった・・・。
これまで事故起こさなかった・・・。
さっきもガードレールにぶつかりそうだったけど、セーフだった・・・(義弟の加害者の場合)。
こうしたレベルのヒヤリ・ハットを重視しない人たちが、運転してるってことなんすよね。
こうしたことを、もういちど、考えてみてもいいのでは?
免許・無免許をとわず、この1か月だけでも、数えきれないほどの自動車事故がありました。
本来は自由なものを、いったん禁止して、一定の要件を満たすものにだけ、許可してるということ。
もういっぺん、考えてみてもいいのでは?
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